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監修・奈良毅先生からのごあいさつ 日本民族は、数多くの国宝や文化遺産を持っていますが、その中で最も重要なものを一つ挙げるとすれば、日本最古の文献である『古事記』ということになるでしょう。それはまた、単に日本民族にとって大切な遺産であるだけでなく、世界人類にとっても貴重な遺産であると言えましょう。何故なら、『古事記』の中に展開される物語は、我々が現存している宇宙がどんな過程を経て現れ現在の形態を取るに至ったか、また太陽や月や地球が、さらには陸地や海や島々がどんな順序で生成されていったか、最初に人間の姿をとった原初の男女神が、どのようにして人類を地上に増やしていったか等々、万物の生成発展に関する雄大で貴重な情報を提供してくれるからなのです。その上、現在の日本列島がどんな島々から成り立ち、それぞれがどんな順序で形成されていったか、やがて天上界から降りてそこに住みつくこととなる神々は、地上界(日本列島)にいた人々とどう関わり、定着していったのか、天皇家や地方豪族がいかにして出現し、それぞれがどういう日本民族の歴史を紡ぎだしていったのか、などについても公平に、客観的に、しかも生き生きと描写してくれています。 『古事記』は、天武天皇の命により、稗田阿礼という語り部が、天皇家を始め複数の地方豪族の家々に代々伝わる歴史物語をすべて暗記し、その中から太安万侶という官吏が正しいと思う部分を取捨選択して編集した、一種の歴史物語と言っていいかもしれません。しかしながら、こうして編纂され西暦712年に公刊された『古事記』は、その8年後同じような趣旨で編纂された『日本書紀』が国家の正式歴史書として刊行されるや、政府によっても当時の知識人によっても正式の文書としての扱いは全くされなくなり、いつしか偽書としての扱いをすら受けるという運命を辿ります。さらには、編纂者の太安万侶という人物の存在すら疑問視され、後世何者かによってある意図を持って編まれたものであろうという学者すら現れました。 しかし、幸いなことに、約千年後の西暦18世紀末、本居宣長という江戸の国学者が、それまで長い間歴代の学者達によって全くないがしろにされてきた『古事記』の真価に気づき、再評価をすることによって再び日の目を見ることとなります。そしてさらに不思議なことに、それから200年後の昭和54年(西暦1979年)の1月20日に奈良市此瀬町の茶畑から銅版の墓誌が発掘され、それには太安万侶が養老7年7月6日に死亡し12月15日に埋葬されたことが記されていました。それによって太安万侶という人物が歴史上実在した人物だと言うことが考古学上証明され、したがって彼の編纂した『古事記』も真に実在した文献であることが確定したわけです。 こうした数奇な運命を辿った『古事記』という文献は、単に「すべてに神の存在を感じ取り、万物に感謝し、大らかでかつ科学的なものの見方をする」日本民族の性格を語るのみならず、宇宙生成の過程についても語る貴重な文化遺産なのですが、なにしろ奈良時代の上代日本語で語られ、しかも漢字と万葉仮名で書かれているため、なかなか現代の日本人にとってはたとえ興味をもったにしても、読破することは至難の業です。そこで考えられたのが、この『古事記』の内容を全く変えることなくマンガの手法を駆使して表現しようというアイデアでした。 このアイデアの下、筆者の奈良は、知人のイラストレーターである柿田徹氏に依頼して、『古事記』の内容を少しも省略せず、忠実にマンガという形式を通じて視覚化していただきました。それを目にする読者は、必ずやわくわくとした興奮と、ほのぼのとした感動を覚えるに違いありません。そして『古事記』のもつ伝統的な日本人の思想と文化のみならず、マンガを通して伝えられる人間の普遍的な生き様が読者の心をきっと豊かなものにしてくれるに違いありません。 |